2013-01-26

塀の中のジュリアス・シーザー

おやきがみた「塀の中のジュリアス・シーザー」

パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟 監督作品
2012年 
原題 Cesare deve morire
heinonaka-c.com

  シェークスピア「ジュリアス・シーザー」劇のクライマックス・シーン シーザーを暗殺したブルータスと仲間たちはアントニウスに追い詰められる。ブルータスの最後 ブルータスは自害し果てる。ブルータスの遺骸を中央に出演者が出そろう。シーザーがブルータスに手を差し伸べる。立ち上がるブルータス・劇の終焉 スタンディンオベーションにこたえる屈強でマッチョな男達
映画の最後は独房・監獄にもどる囚人たちの姿を映し出す。キャシアス役のコシモ・レーガが
「芸術を知ってから監獄が牢獄になった」とつぶやき独房の生活に戻ってゆく。彼は終身刑の囚人だったのだ。映画のストーリーは一貫して「ジュリアス・シーザー」の劇のメイキングのように進む。
オーディションでは悲しみと怒りを表現させる。選ばれた者たちはせりふをくりかえしながら次第に
役に同化してゆく。その姿は映画をみているものに現実と非現実の壁を越えさせてゆくのに十分なドラマ性をもっている。彼らの過去の反社会的な行為が シーザー、ブルータス、キャシアス・・・・
の行為と共鳴しあっているようにみえるからだ。共鳴は重奏低音のように全編に流れている。
 シーザーの陰険な傲慢さ、気位の高さ ブルータスに忍び寄る友人シーザーへのねたみと自分の気持ちを正当化しようとする知性  キャシアスの暗殺することを運命として周囲を巻き込んでゆく力 迎合する心、否を唱えられず暗殺に加わる心 ごまかし 裏切り 
 暗殺は憎しみを生み 新たな殺意が生まれる。断ち切れずに繰り返されてゆく殺人 シェークスピアはこの物語で何を伝えたかったのだろうか。希望はない。憎しみの強さは人を抹殺する。たとえ友人であっても憎しみがあるから正当化して抹殺しようとする衝動に駆られる。そこに正当な理由などはない。人が人を殺すということからは何も生まない。新たな死だけである。人間よ早く気付け!!とでもいいたいのだ。
 囚人たちの演劇演習を取り上げたこの映画は観客に罪を償う人たちの気づきを明らかにして見せた。役者たちは現実に戻り自分たちの過去の行為を今どのように受け止めているのだろうか興味がつきない。役者たちの存在感は、かれらが彼ら自身の過去に立ちむかった 結果から生まれたのではないだろうか。個々人の罪状は違えども人間の本質的にもっている反社会的な感情にむきあったからこそ観客を感動させることができたのだと思う。もしこの映画を被害者の家族がみて自分の身内を殺害した人が役に同化し思い苦しむ姿や観客に称賛される姿をみたらどんな思いになるだろうか。罪を憎んで人を憎まずという心境に至るだろうか。少なくともこの映画の監督や囚人の演劇実習を長年手がけてきたファビオ・ は願っていると思うのだどうだろうか