2026-10-27

能 「善知鳥」

 

2026年9月27日(日)

銕仙会能楽研修所 青山能

狂言 酢薑 野村万之丞

能 善知鳥 長山桂三

世阿弥元清作の能「善知鳥(うとう)」を鑑賞する機会があった。観終えたあと、胸に残ったのは、親子を引き裂く仕事を背負った一人の鳥刺しの痛みだった。

「善知鳥」は、「鵜飼」「阿漕」と並び、当時の社会で低い身分に置かれた人々を主人公とする謡曲の一つである。
能の演目には、神や貴人、武将などさまざまな人々が主人公として登場することが多い。
 そのなかで、鳥を捕らえて生計を立てる一人の男を主人公とし、その罪と苦しみを描く「善知鳥」は、私にはひときわ印象深い作品だった。
 物語では、善知鳥という親子鳥を殺して生計を立てていた鳥刺しが死ぬ。彼は地獄で、殺した善知鳥の霊に責めさいなまれる。けれど鳥刺しも、妻子と自分の暮らしを守るために、親子鳥を殺さずにはいられなかった。
 モーツァルトのオペラ「魔笛」にも、鳥刺しのパパゲーノが登場する。彼は主人公を導く案内人だ。同じ鳥刺しという存在でも、西と東では作者が担わせる役割はずいぶん異なる。パパゲーノは、劇中「パパパパパパパ・・・」といとも軽やかに恋心をうたう。
 舞台は、前段が立山連峰のふもと、後段が青森・外ヶ浜である。「善知鳥」という鳥は、親子の呼び交わしによって知られている。母鳥が「うとう」と呼ぶと、子が「やすかた」と応えるという。能「善知鳥」は、この親子鳥の伝承を、鳥をとらえる男の罪と苦しみに結び付けている。外ヶ浜には、いまも善知鳥神社がある。
後段は、藤原定家の「みちのくの外の浜なる呼子鳥 鳴くなる声は、うとうやすかた」で始まる。その一節が、遠い土地の冷たい海辺へと観客を連れていく。
なぜ「善知鳥」は、今の私に響いてくるのか。鳥獣を殺してはならないという仏教思想と、殺さなければ家族の命をつなげない人間の現実。その逃げ場のない葛藤が時代を超えて、見るもの自身の問題として立ち現れるからではないか。
 いま放送中のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」も終盤に入り、いつになく湿度の高い場面が多い。戦争で疲弊する農民を背負う豊臣兄弟にとって、「殺さなければ勝ち取れない平和」という葛藤が、繰り返し主題になっているからだろう。主人公の秀長は、いつも戦争を避けるための板挟みになり、心境を吐露しながら切り抜けてゆく。
 「善知鳥」の筋を細部まで知らなくても、「悲しみ」「哀れ」「憎しみ」、そして「おっかさん!」という叫びは届く。何かを守ろうとする行為が別の苦しみを生むという構造を見せられることで、葛藤を抱えた心にもひと時の解放を感じることができる。
 舞台を見終え、演者の後ろ姿に我が身を重ねながら余韻に浸る。戦国の武将も、江戸時代の能楽のパトロンも、そして現代を生きる私たちも、同じような時間を味わってきたのかもしれないと思うとなぜかほっとする。
 それは、ずいぶん豊かな時間に思える。葛藤そのものは解決しない。それでもほんのひととき、心の荷を下ろすことはできる。
年齢を重ねるほど、謡曲が扱うテーマは深いところで自分に刺さってくる。

新潟側から 後立山連峰


2026-08-25

地唄舞「雪」 「残月」

 

滝の雪 by M. Kaneyasu 

 地唄舞「雪」「残月」をみました。「この世のものとは思えない」と「雪」の幕が降りて休憩に入ったとき、隣の紗の着物をすっきり着たお嬢さんの溜息のような声が聞こえました。『同感!』私も休憩に立ちあがりがたく席に沈んでしまっていました。

「雪」ー 面影 (おもかげ)

 舞台は、両袖の雪洞と背景なしの屏風 白装束に黒い緞子の帯、雪模様の傘を手にした玉三郎、舞台の袖に琴、三味線、胡弓。「花も雪も払えば清き袂かな」ではじまる哀切な地唄。
 いっきにお座敷に引き込まれてしまいました。 「雪」は江戸時代後期、1780年代の作。お座敷の畳一畳で踊り、当時の能楽などの流れをくむ所作の少ない舞踊です。
 私は、テレビで武原はんという人の「雪」を見たことがありました。1973年、私20歳。当時、武原はん70歳のときの「雪」が放映されていました。とても動きが少ないのに伝わるものがあったのが印象的で、当代の舞踊の名手が「雪」を舞うなら見てみたいと思いたちました。
 雪を傘で象徴的にみせ、ゆっくり身体が回転してゆきます。仏門に入った芸妓そせきが恋人を待つ冬の夜を回想し、やすらぎのある今を思う姿が絵がうごくようです。顔、手、足、腰、傘の動きそれぞれに意味があるように思え、「あっ悲しいんだな」「あっ辛いんだな」「今は静かな心境だな」と感じさせます。 それも見ている観客全員が同じ体験をしているのではないかという会場の緊張感がなんともいえません。
 20代の記憶に残る「雪」 記憶通りの静かな印象に残る世界観でした。あの時見た夢のような記憶は間違っていませんでした。

「残月」ー 空蝉(うつせみ)

 玉三郎は、「雪」の後20分のインターバルをおいて「残月」を舞いました。「残月」は、若くして亡くなった芸妓への追悼舞です。歌舞伎座の大舞台は、真っ暗で中央にぼんやり舞手が見え、次第に舞台が明るくなると青一色の照明に下手の上空にほんのり名月という場面。装飾は、一切なし。玉三郎の衣装は、白の着物がきらきら光ります。帯もさきほどのきりっとした黒と違い淡い桃色にみえます。舞台そのものが記憶の中にあるような不思議な空間になりました。
 舞手の銀色の舞扇がひらひら舞い、はかない命の象徴であるかのようです。懐かしかった恋人と楽しんだ座敷の情景が浮かび上がってきます。座敷で芸妓が挨拶をするように舞手が頭を垂れて幕がゆっくり降りました。「雪」に比べると短い曲でしたが、雪のはかなさ以上に命のはかなさが記憶に残ります。玉三郎の身体が重力から解放されていたように感じたのは、私だけでしょうか

「贅沢」ー 夢現(ゆめうつつ)

 江戸後期の作詞作曲と舞、古くもなく新しくもなくいつまでも残ってほしいと思います。
「雪」も「残月」も座敷舞です。歌舞伎座などの大舞台やテレビの放映でなく、息遣いや裾裁きの音が聞こえそうな本来の空間でみることができたらどんなに贅沢な楽しみだろうとも思いました。
 

残月 by M.kaneyasu


2026-07-25

映画「マイケル」ー 家族・夢そしてファンタジー


映画{マイケル」 原題 Michael

2026年 アメリカ(128分 )  配給 キノフィルムズ

監督:アントワーン・フークア 脚本:ジョン・ローガン

制作:グレアム・キング、ジョン・ブランカ、ジョン・マクレイン

私とマイケル

 映画「マイケル」を観ました。「マイケル」は、70年代後半から90年代を駆け抜けたエンタテナー「マイケル・ジャクソン」のことです。 私は、この映画のなかでマイケル・ジャクソンの再来では?と思わず眼がしらが熱くなるシーンをいくつもみることができました。この映画は、単なる伝記映画でなく、「マイケル・ジャクソンからのメッセージの代読」と思えてしまいました。
 私は、マイケル・ジャクソンの熱烈なファンではありません。しかし、気づけばマイケル・ジャクソンは私の人生の節目節目にいました。映画ベンのテーマの歌声、ジャクソン5兄弟の大人子供のようなリードボーカル。あの子が彼?と驚いたMTVのビリージーン。
 自分が同時代を生きてきたことが、映画を見て思い出されました。マイケル・ジャクソン生きていれば67歳. 彼は、スキャンダル渦中の50歳で早すぎる死を迎えることになりました。アフリカンアメリカンの美しい、生命力を感じさせる肌色が、報道によれば全身性エリテマトーデス、尋常性白斑で肌の色素が抜けてゆく姿に世界的成功と引換えの痛みと苦しみを私は感じずにいられませんでした。
 I'LL BE THERE,BEN, BEAT IT, THRILLER, WE ARE THE WORLD,BAD ・・・・・の数々の楽曲は、共働きのいそがしい生活の中で、私に気分転換の時間を提供してくれていたのは間違いありません。当時10代の娘は、MTVを観て育ち、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロスのオズの魔法使いを見、学芸会でドロシーを演じていました。
 そういう個人的なマイケルとの関係とは別に・・

家族の物語「マイケル」


 映画は、家族の成功だけを願う父親と溢れる才能の表現を爆発させたいマイケルの葛藤を軸に展開します。マイケルが自分を子供たちの味方、大人になれないピーター・パン、父親のような海賊船長を退治するピーター・パンになぞらえてゆく物語も俳優たちの並々ならぬ演技で伝わるが物がありました。父親との決別の意思表示をするライブシーンの臨場感に思わず息をのみました。
 マイケル・ジャクソンの音楽室を模した部屋での撮影、 ぬいぐるみとおもちゃでいっぱいの本人のベッドルーム、彼の友人チンパンジーのバブルスを抱いたり、子供や病児たちと交流する優しい姿は、さもありなんと思わせました。また伝説的な舞台、衣装もすべて再現され、撮影・技術クルーの意気込みが感じられました。主役のジェファー・ジャクソンは、マイケル・ジャクソンの甥です。自分のオジサンを隣に感じながら育ったにもかかわらず役作りに2年以上かけたジェファー。
 映画のラスト、大観衆にジャクソン5からの独立を宣言をし、父親の驚きの顔を背に「ヴィクトリー・ツアー」最後の舞台に向かうマイケル役のジェファー。振り向いた横顔にあのマイケル・ジャクソンをダブらせた人は、私だけではなかったと思います。

 

エンドロールのあとに・・・・


「マイケルの物語は続く」
エンドロールに書かれた文字に「そうだ!私の物語もこれからだ!」と思ってしまいました。
 没後17年 このような姿で再会するとは思いもかけませんでした。この映画は、アフリカンアメリカンのアントワーン・フークワ監督、マイケルの家族、子供が総出で協力しています。(ジャネットジャクソンの名はありませんでしたが)
 人種を超え、音楽で世界をつなごう。というメッセージは、スキャンダルや、サクセスストーリーとしてのマイケルジャクソンの印象の強い人にも伝わるのではないでしょうか。


生きるための想像力★ファンタジー


 マイケルが舞台の上で見せ続けた「夢を見る力」は、単なる娯楽ではなく、人が生きるための想像力そのものだったと私は思います。戦争、格差、分断、生活苦に疲弊している今の世界に忘れられているもの「夢見る力=ファンタジー」を考えるキッカケをこの映画は、提供していると思いました。彼は、晩年スキャンダル、薬物でダークヒーローになってしまいますが、舞台の上ではエンターテナーとして彼のファンタジーを表現し続けました。
 映画マイケルの観客動員数は、インターネットの検索によると公開41日目の時点で417万人です。懐かしさだけでは、でない数字です。
 力強く前に進むマイケルの姿を映すこの映画は、マイケルジャクソンを映像でしか知らない若い世代にも刺さっているのではないかと思いました。



2026-06-20

能「隅田川」

隅田川 渡し舟の場面

 

能「隅田川」ー 素人会と薪能で感じたこと
 

 今年の五月は、二回、能「隅田川」を鑑賞する機会に恵まれました。 一つは素人会、もう一つは能楽師による薪能でした。
 私は能楽を楽しめるようになって10余年。謡を習い、素人会では素謡を披露しています。
 能楽業界では、アマチュアを素人といい、プロを玄人というようです。素人会は、さしずめ能楽の推し活というところでしょうか。
 室町時代にその源流をもつ能楽は、600年以上たった今も多くの人を惹きつけ、舞台が受け継がれています。その仕組みを支えているのは何でしょうか。

コロナ禍と能楽師の「精進」


 それはコロナ禍のときのことでした。謡の師匠は、公演が次々キャンセルになり、お稽古もままならない日々が続いていました。
 師匠は大いに勉強し、動画配信に挑戦し、体幹を鍛え、期限の見えない焦燥に駆られながらも精進されていました。
 2重マスクと飛沫対策ガード装備のお稽古でしたが、精進されている師匠の姿を垣間見ることができました。
 この期間、能楽師によるYouTube動画も数多く発信され、初めて能楽を観た人も多かったでしょう。
 玄人が惜しげもなく芸を語り、能楽の面白さを伝える動画は、能楽研究者の話とは違う臨場感と奥深さが感じられて新鮮でした。

素人会という舞台


 素人会は、弟子が集まって日頃のお稽古の成果を披露する場です。披露の形は色々あり、その形によって玄人の応援団の陣容が変わります。
 能楽には、400近い物語があります。 その一部が独吟、舞囃子、仕舞、素謡、能などの形で演じられます。能は、それらが統合された舞台芸術です。 
 主人公シテ役、シテ役の受け手としてのワキ、笛・鼓・太鼓などの囃子方の人たち、情景や心理描写を謳う地謡といわれる人たち、全体の流れに目配りをする後見が舞台に一同に会して物語ります。
 素人会の演能では、玄人と素人の境界が薄く感じられます。半年から一年をかけてお稽古するのだから、素人の中でも技量、体力、財力がないとなかなか手は挙げられるものではありません。
 主人公シテ役以外は、すべて玄人という舞台。私の素謡でさえ玄人に囲まれて物語の登場人物になれるのだから、うまく謡いきった時の達成感は素晴らしいものがあります。

今回の「隅田川」——胸を突かれた瞬間


 今回「隅田川」の物語は、子別れ、母、もの狂いです。さまよう果ての隅田川。子を慕う母の念仏に応えるように亡き子の姿が現れる。かき抱きしめるが、子の姿は幻。哀れよの。
 素人会では、シテ役が知人ということもあり、私の注意はシテへ向いていました。
墓を模した作り物から子がふっと現れ、はっと抱きつこうとする母の姿に、ぐっときてしまいました。



薪能で見えた「間合い」

 薪能の「隅田川」では、二階席のこともあって舞台の全体がみえていました。
 お稽古を重ねた舞台というより、覚え鍛えた玄人の方々の一 期一会の緊張感が伝わり、シテ、ワキ、地謡、囃子方の絶妙な間合いを楽しむことができました。

物語が残っていく理由


 「隅田川」の物語を、理不尽な犯罪にまつわる逆縁の悲しみを詞章に乗せて、能楽に携わる人たちが謡い続けてきました。
 その悲しみに共感した観客は、沈黙のなか、退場してゆくシテ、ワキ、作り物、囃子方を見送りながら日常に戻っていきます。それは、ひとつの体験にほかならないのではないでしょうか。
 その体験に心を救われる人、癒やされる人がいる限り、この物語はこれからも残ってゆくように思います。
 理不尽な犯罪、逆縁の悲しみ——決して室町時代の物語にとどまりません。室町時代からの多くの観客とその体験を共有していることもまた心強さを感じます。

伝統を受け継ぐということ


 伝統を受け継ぐとは、玄人の精進、素人の道楽魂、それを感受する社会があってこそではないでしょうか。
 二つの「隅田川」の演能を通して受け継がれていく「能楽」の力が印象に残りました。



2026-06-14

5月の月瀬ホール

 




 5月のさわやかな午後の「月瀬ホール」、グロトリアンのピアノの音とバルトークのプログラムに惹かれ、久しぶりにコンサートへ足を運びました。

 ピアニスト松本望さんから紹介されたのは、この春、芸大大学院を卒業したばかりの室内楽団《カルテット風雅》。
 大阪国際室内楽コンクールを目前に控え、武者震いする若いカルテットでした。もちろん若さだけではありません。技量にも確かな裏付けがあり、松本先生のお墨付きのカルテットです。
 弦楽器の演奏を目と鼻の先で味わえるのが、月瀬ホールの魅力です。
 演奏が始まるとグランドピアノを囲むリヴィングルームの空気が、弦の響きで満たされてゆきます。第一ヴァイオリンの高音はひときわ美しく、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロも、それぞれ異なる個性を響かせます。
 バルトーク「弦楽四重奏曲第5番 Sz.102」の第1章から第5章まで、それぞれの曲想を私の言葉に置き換えることはできません。しかし、音が絡み合い、形をつくってゆくような造形的なコンビネーションが感じられました。
 四人のアイコンタクト。座ったままでは収まりきらないような身体の動き。ときに優しく、ときに厳しい表情。演奏家たちの息づかいに気づくころには、私自身も自然に呼吸を合わせていました。
 フランク「ピアノ5重奏曲 ヘ短調」では、カルテットの演奏にピアノの響きが重なり、さらに豊かな世界が広がり大いに楽しめました。松本先生とカルテットの確かな信頼関係と若い力のハーモニーがバルトークとフランクを身近に感じさせてくれました。
 近頃、不協和音ばかりが耳に入り、それに慣れてしまっている自分がいます。しかし、バルトークにかかると、不協和音さえ美しい。万雷の拍手。若い演奏家たちは、そのことを確かに伝えてくれたのではないでしょうか。

                                                                     月瀬ホール


【月瀬ホール「松本 望と若き仲間たち」 シリーズ】
   松本望さん肝いりの若き音楽家の方々と室内楽を楽しむ企画

●松本望さん 
 美しい容姿から想像できない力強いピアノの音でした。演奏だけでなく統率力がすごい。パンフレットのプロフィールには、作曲専攻され作曲と演奏でご活躍とのこと 2022年には、NHK全国学校(合唱)作曲コンクール課題曲の作曲者、国内外のアーティストとのアンサンブル共演を重ねていらっしゃいます。 次回の企画が楽しみです。



 ●カルテット風雅
   5月6日の月瀬ホールでの演奏は、まさに「前哨戦」でしたね。その後 5月23日の「第12回大阪国際室内楽コンクール」で見事第2位、さらにボルドー弦楽四重奏フェスティバル賞を受賞されました。おめでとうございます!
  第1ヴァイオリン 落合真子さん 
    「リトル・マーメイド」のアリエルのようなお嬢さんの高音が素敵でした。 
  第2ヴァイオリン 小西健太郎さん
  ヴィオラ 川邉宗一郎さん 
  チェロの松谷壮一郎さん
    みんな スマート・ガイ!!! 
  クラッシックは、たしなみ程度の私ですが、かれらの演奏では、「だれが・何を・どういう気持ち」で楽器に向かっているかがよくわかり楽しませてもらいました。

  









り など)

2026-04-01

目黒川の桜 郷さくら美術館「桜花賞展」

 2026.4.1

 
目黒川の桜はただいま満開。あいにくの雨模様である。目黒の郷さくら美術館で開催中の「桜花賞展」を訪れ、中野嘉之画伯の《乙女桜》の屏風を見てきた。桜を主題にした日本画が並ぶ会場は、同じ花の名のもとに、これほど多様な世界が生まれるのかと飽きることがない。
 《乙女桜》は地味な作品だが、実に凄い。枝の生命力が、凝縮するように桜花へと集まっている。視線は自然と画面中央から離れない。
ふっと息を抜くと、足元に雉が一羽、きょとんと立っている。その表情につられて、こちらの肩の力も抜けてしまう。私は晩年に近い頃に画伯とお話したり、貴重なアドバイスをいただいた思い出がある。その記憶を重ねながら画業を眺めると、また格別の思いがあった。

 さて、外に出ると目黒川の桜。枝は川に覆いかぶさるように花をつけ、ちょうちんが一列に下がる。川を挟んだ両岸には、花見を楽しむ人々の列が続いている。
 日本人は桜が好きだと言われる。だが、花見客を眺めていると、桜はもはや世界共通語のようにも思える。実際、娘婿のアメリカの母親も桜が好きで、毎年送る桜の写真を楽しみにしてくれている。
 私が惹かれるのは、桜の幹である。鉛色に光る幹。怪獣の足のようにごつごつした古木。そこに刻まれた時間のテクスチャー。そして、その上にふわりと浮かぶ桜の花びら。この取り合わせに、私は密かな快感を覚える。
 中野嘉之画伯の《乙女桜》は箱根に取材したものだという。支柱に支えられ、枝を広げる垂れ桜。足元には雉。同じ画題は、加山又造にもある。こちらは夜桜である。二つの絵を並べて見たわけではないが、箱根の桜は、どこか匂い立つように感じられる。一方、夜桜は冴えた月の光を思わせる。
 日本画の世界は、このように余白の空気を伝えてくれる。――そして私は、川面に垂れる花を見ながらも、いつのまにか視線を幹へ戻している。花を支える時間の手触りが、今日の桜をいっそう確かなものにした。


2026-03-22

マタイの春


  今年の復活祭は4月5日。それまでの約一ヶ月間は「四旬節」と呼ばれ、キリストの受難を思い起こす時期です。とくに最後の3日間は聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日と名付けられ、信仰的な意味合いの強い日々となります。私は今年初めて、マタイ福音書に基づくバッハの大作「マタイ受難曲」を、鑑賞する機会に恵まれました。

 

バッハは新約聖書の4つの福音書それぞれに基づき受難曲を作曲しましたが、その中でも「マタイ受難曲」は三時間半にも及ぶ、宗教音楽の頂点とされる大作です。オーケストラと合唱団、複数のソリストたちが織りなす重層的な響きは、ドラマティックでした。小学校の頃にみんなで見に行った「偉大なる生涯の物語」という映画のシーンが思い出されました。

 舞台には日本語訳の掲示もあり、ソリストの語る聖書の物語が、合唱やオーケストラが一体となって立ち上がるのを、物語を「読む」というより「体験する」感覚で味わうことができました。 バッハは苦しみや裏切り、嘆きだけでなく、赦しや救い、かすかな希望に至るまで、人間の感情の揺れを音楽で緻密に描き出していました。悲痛なコラールのあとに差し込む柔らかなアリアや、厳しい場面に潜む温かな和声の動きなど、重苦しさ一色ではない多様な感情表現の豊かさに、何度も胸を突かれる思いがしました。


 この音楽の世界は、遠い過去の物語を語りながらも、現代社会における苦しみや分断、暴力の記憶をも静かに映し出しているように感じられます。バッハの「マタイ受難曲」は、イエスの遺体が墓に葬られる場面で幕を閉じますが、その終結は絶望の固定ではなく、「この先に何があるのか」という問いとともに、聴き手を祈りや希望の方向へとそっと押し出していきます。 国や時代、立場を超えて、誰もが何らかの「苦難」を抱えて生きている今、この音楽は「苦しみのただ中で、人はどう希望を見いだし得るのか」「赦しや連帯は可能なのか」といった、普遍的で避けがたい問いを私たちに投げかけているように思えました。

 キリスト教は、ユダヤ教の伝統に深く根ざした荒野の宗教です。そして7世紀には、アブラハムを共通の源流にもつ同じ一神教イスラム教が生まれました。三つの宗教はしばしば対立や誤解の歴史とともに語られますが、その根にはいずれも、神の前に立つ人間の小ささと、そこから生まれる祈りや希望というモチーフが通っています。 とはいっても異なる宗教・文化の人々が、十字架刑という出来事を描くバッハの受難曲にどう向き合うのか、ひとことで語ることはできません。それでも、苦難の物語の只中にあっても耳を澄ませば、この音楽が人間の尊厳や、見えない他者へのまなざし、そして神の声とも呼びうる静かな呼びかけを伝えてくれている――そのように感じました。マタイ受難曲は、特定の信仰を持つ者だけに閉じられた作品ではなく、三宗教をはじめとするさまざまな信仰・不信仰の人々にも、「希望」をめぐる対話の場を差し出しているのかもしれません。

 本公演を指揮した佐々木氏が、この作品にどのような思いを託していたのかも知りたくなり、終演後、自然とパンフレットへと手を伸ばしている自分に気付きました。舞台上の音楽だけでなく、その背後にある祈りや問いにも耳を傾けたい――そう願わずにはいられない鑑賞体験でした。

 老体?に鞭打って合唱に参加した友達に感謝とエールを!! 私も頑張る!





 

2026-03-02

宮本三郎 風景をつかむ 企画展「都市と自然ーそれぞれの光ー」

展示作品リストと絵葉書「熱海の夜」

 2026.2.17

 地元の 宮本三郎美術館 で、風景画コレクションによる企画展「都市と自然 ― それぞれの光 ―」を楽しんだ。

作家は油彩で丹念に筆を重ね、風景を構成している。
見えているものを、見えているままに描こうとしているのではない。
風景を目の当たりにしたときの感覚を、いったん持ち帰り、アトリエで再構築しているのだろう。

掴んだものは離さない。
野外であれ、アトリエであれ、本質は同じだ。
掴んだ魚を逃がさない――画家とは、そういう存在ではないだろうか。

宮本三郎には従軍画家としての経歴がある。戦地で描いたスケッチをこの美術館の企画展で見た記憶がある。休憩をとる少年兵の姿だったと思う。油絵とは違う丁寧でゆくりした筆致を感じさせるスケッチだった。少年兵の横顔がいつまでも印象に残った。

現場とアトリエを往還しながら描いてきた人だ。

その絵には、外の光がアトリエの静けさの中で熟成していくような時間が流れている。

野外でスケッチをする人は多い。
だが、野外で「作品」を完成させる人は、そう多くはないだろう。
風景の情報量はあまりに多く、描き手を容易に圧倒するからだ。
彼はそのことをよく知っていたはずだ。
ほんとうに描きたいものは何か――それを掴むために、自然や都会の風景の前に立ち続けていたのではないか。

宮本は、風景から受け取ったものをそのまま画布にぶつけてはいない。
画家にとっての「現場」は、海や山、都市の景色そのものだけではない。
感じ取ったものを熟成させる内なる時間もまた、現場なのだ。

静かな美術館の壁面に並ぶ風景を見ていると、作家の風景との距離感が心地よい。
近づきすぎず、離れすぎず。
懐かしさの中に、風景へと溶け込んでいく感覚がある。

油彩という画材が、画家の見た光や湿度を閉じ込めている。
パステルやコンテ、鉛筆では届きにくい、空気の厚みのようなものがそこにある。

いい時間を過ごした。


*宮本三郎 (1905-1974〉石川県小松市生 画家を志し上京する。大正11年のことである。川端洋学校で富永勝重、藤島武二に師事する。関東大震災後に京都に移る。その後二科展入選、渡欧。第2次世界大戦中に小磯良平等と共に中国へ従軍。戦争画を手掛ける。戦後は、金沢美術工芸専門学校、多摩美術大学などで美術教育に携わる。
1966年 芸術院会員 







2026-02-15

2025年度 難民映画祭から

 

本画像は、映画フライヤー


難民映画祭「ラワン」を観て

 難民生活を送る、イラン出身の聾唖の少年ラワン。彼の経験を分かち合える存在は、周囲にほとんどいない。家族も、兄でさえも例外ではない。成長するにつれ、その隔たりは次第に大きくなっていく。音のない世界から見つめる、過酷な逃避行。ある日、聾唖の青年が、キャンプに彼を探しにやって来る。物語は、そこから動き始める。

 思春期の聾唖の少年の心を、いったい誰が受け止められるのだろうか。本人自身も、十分な表現手段を持たない。孤独は静かに、しかし確実に深まっていく。ラワンの家族は、彼の教育を願い、その青年の手引きで英国へ逃れる。だが、その逃避行は恐怖に満ちており、表現の術を持たない少年を、さらに孤独へと追い込んでいく。

 英国で始まる手話による学習生活。しかし、心を閉ざしたままの彼にとって、それは容易ではない。ロシア人やインド人の同じ聾唖の友人たちと出会い。子どもの世界に、政治はない。あるのは、「一緒に遊べるかどうか」だけだ。サッカーと手話の学習が、彼らを結びつけていく。その過程が無音の中で描かれていくことに、私は救われる思いがした。そこには、ただ「みんな同じ子ども」の姿があったからである。

 イギリス社会は、「この環境が少年の成長に寄与できるか」という基準で、難民申請を判断していた。では、日本はどうだろうか。当事者の成長のために、国内での居住を柔軟に認めることができているだろうか。私は、はなはだ疑問に思う。日本社会は、人権に対して、まだ十分に成熟しているとは言い難いからだ。

 この映画は、少年の笑顔で終わる。自分を表現する勇気を得た喜び。それに応える家族の幸福。そして、生活の糧を得る機会を与える社会の存在。観る者に、確かな救いを残す結末である。

 本作は、ラワンの成長を丁寧に追ったドキュメンタリーであった。シリア、パレスチナ、ウクライナ、ミャンマー、スーダン、・・・――。戦地を抱える国々から逃れる子どもたちと、その家族。

音のない世界に生きる子ども。
光のない世界に生きる子ども。
身体が自由に動かない子ども。
病を抱える子ども。

いったい、どれほど多くの子どもたちの笑顔が、今この瞬間にも失われているのだろうか。その現実を強く胸に迫る映画であった。


 *難民映画祭は、 2006年に「難民」も焦点を当てた映画祭としてスタートしました。
主催は、 国連UNHCR協会。本年度は、9作品の上映でした。私は12月3日 東京九段のイタリア文化会館で鑑賞しました。映画上映のほかに詩の朗読劇「リスト:彼らが手にしたもの」、聾者でアーティストの木本昌美さんとその息子さんで映像クリエーターの奏太(かなた)さんがラジオDJの武村貴代子さんの司会でトークイベントがありました。

2026-02-08

第9回 MAG ♥NET展 ギャラリー1045平塚

 2026年2月8日 


 関東地方は雪景色。神奈川県・相模原には大雪警報が出ている中、平塚駅近くのギャラリー1045の企画展に出かけた。 bゼミ時代の先輩、曽根夏生さんの最近の仕事である。「流体画譜」と題されたシリーズは、5点の作品で構成されていた。 壁の角を挟んで、2点と3点。なるほど、流線という名の通り、観る側の視線も自然に角を流れていく。


 曽根さんは色鉛筆を使い、優しく、しかもダイナミックに、ふっと肩の力が抜けるような空間を探っているように見える。今回も期待を裏切らず、目に優しい。しかし、優しいだけではない作品だった。彼もまた、モノ派の系譜につながる作家なのだろう。 王道の美術教育で養われた感性や技術とは異なる、泥臭い感性の生々しさ。 それが、彼自身によって洗練された技法へと昇華されている。その過程を味わいながら、作品を楽しんだ。

 書道のように線をひき、線の交わりで閉じられた面に色をぬってゆく。線を追う視線が時間を生み、楽譜のような絵になると作家は言います。
いつも思うのだが、彼の作品にそこはかとなく漂うユーモアは、いったいどこから来るのだろうか


 
 The Kanto region was a snowy landscape. Even as a heavy snow warning was issued for Sagamihara in Kanagawa Prefecture, I went out to an exhibition at Gallery 1045 near Hiratsuka Station. 
It featured the recent work of my senior from the b-semi days, Natsuo Sone. The series, titled “Streamline Drawings,” consisted of five pieces. 
Two works and three works, arranged on either side of a corner of the wall. True to the name “streamline,” the viewer’s gaze naturally flows around the corner.

Using colored pencils, Sone seems to be exploring a space that gently, yet dynamically, allows the tension in your shoulders to relax. This time as well, he did not betray expectations; the works are easy on the eyes. But they are not merely gentle. He, too, is probably an artist connected to the lineage of Mono-ha. 
He draw lines as in calligraphy and then fill the enclosed areas formed by intersecting lines with color. The artist says that the gaze following the lines creates time, turning it into a picture like a musical score.
A raw, earthy sensibility, different from the sensitivity and technique cultivated by orthodox art education. 
That quality has been sublimated into a refined technique of his own. I enjoyed the works while savoring that process.

I always find myself wondering: where on earth does the faintly drifting humor in his works come from?

   B-ゼミ*
            Mono-ha* モノ派