2026.4.1
目黒川の桜はただいま満開。あいにくの雨模様である。目黒の郷さくら美術館で開催中の「桜花賞展」を訪れ、中野嘉之画伯の《乙女桜》の屏風を見てきた。桜を主題にした日本画が並ぶ会場は、同じ花の名のもとに、これほど多様な世界が生まれるのかと飽きることがない。
《乙女桜》は地味な作品だが、実に凄い。枝の生命力が、凝縮するように桜花へと集まっている。視線は自然と画面中央から離れない。
ふっと息を抜くと、足元に雉が一羽、きょとんと立っている。その表情につられて、こちらの肩の力も抜けてしまう。私は晩年に近い頃に画伯とお話したり、貴重なアドバイスをいただいた思い出がある。その記憶を重ねながら画業を眺めると、また格別の思いがあった。
日本人は桜が好きだと言われる。だが、花見客を眺めていると、桜はもはや世界共通語のようにも思える。実際、娘婿のアメリカの母親も桜が好きで、毎年送る桜の写真を楽しみにしてくれている。
私が惹かれるのは、桜の幹である。鉛色に光る幹。怪獣の足のようにごつごつした古木。そこに刻まれた時間のテクスチャー。そして、その上にふわりと浮かぶ桜の花びら。この取り合わせに、私は密かな快感を覚える。
中野嘉之画伯の《乙女桜》は箱根に取材したものだという。支柱に支えられ、枝を広げる垂れ桜。足元には雉。同じ画題は、加山又造にもある。こちらは夜桜である。二つの絵を並べて見たわけではないが、箱根の桜は、どこか匂い立つように感じられる。一方、夜桜は冴えた月の光を思わせる。
日本画の世界は、このように余白の空気を伝えてくれる。――そして私は、川面に垂れる花を見ながらも、いつのまにか視線を幹へ戻している。花を支える時間の手触りが、今日の桜をいっそう確かなものにした。

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