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2026-06-20

能「隅田川」

隅田川 渡し舟の場面

 

能「隅田川」ー 素人会と薪能で感じたこと
 

 今年の五月は、二回、能「隅田川」を鑑賞する機会に恵まれました。 一つは素人会、もう一つは能楽師による薪能でした。
 私は能楽を楽しめるようになって10余年。謡を習い、素人会では素謡を披露しています。
 能楽業界では、アマチュアを素人といい、プロを玄人というようです。素人会は、さしずめ能楽の推し活というところでしょうか。
 室町時代にその源流をもつ能楽は、600年以上たった今も多くの人を惹きつけ、舞台が受け継がれています。その仕組みを支えているのは何でしょうか。

コロナ禍と能楽師の「精進」


 それはコロナ禍のときのことでした。謡の師匠は、公演が次々キャンセルになり、お稽古もままならない日々が続いていました。
 師匠は大いに勉強し、動画配信に挑戦し、体幹を鍛え、期限の見えない焦燥に駆られながらも精進されていました。
 2重マスクと飛沫対策ガード装備のお稽古でしたが、精進されている師匠の姿を垣間見ることができました。
 この期間、能楽師によるYouTube動画も数多く発信され、初めて能楽を観た人も多かったでしょう。
 玄人が惜しげもなく芸を語り、能楽の面白さを伝える動画は、能楽研究者の話とは違う臨場感と奥深さが感じられて新鮮でした。

素人会という舞台


 素人会は、弟子が集まって日頃のお稽古の成果を披露する場です。披露の形は色々あり、その形によって玄人の応援団の陣容が変わります。
 能楽には、400近い物語があります。 その一部が独吟、舞囃子、仕舞、素謡、能などの形で演じられます。能は、それらが統合された舞台芸術です。 
 主人公シテ役、シテ役の受け手としてのワキ、笛・鼓・太鼓などの囃子方の人たち、情景や心理描写を謳う地謡といわれる人たち、全体の流れに目配りをする後見が舞台に一同に会して物語ります。
 素人会の演能では、玄人と素人の境界が薄く感じられます。半年から一年をかけてお稽古するのだから、素人の中でも技量、体力、財力がないとなかなか手は挙げられるものではありません。
 主人公シテ役以外は、すべて玄人という舞台。私の素謡でさえ玄人に囲まれて物語の登場人物になれるのだから、うまく謡いきった時の達成感は素晴らしいものがあります。

今回の「隅田川」——胸を突かれた瞬間


 今回「隅田川」の物語は、子別れ、母、もの狂いです。さまよう果ての隅田川。子を慕う母の念仏に応えるように亡き子の姿が現れる。かき抱きしめるが、子の姿は幻。哀れよの。
 素人会では、シテ役が知人ということもあり、私の注意はシテへ向いていました。
墓を模した作り物から子がふっと現れ、はっと抱きつこうとする母の姿に、ぐっときてしまいました。



薪能で見えた「間合い」

 薪能の「隅田川」では、二階席のこともあって舞台の全体がみえていました。
 お稽古を重ねた舞台というより、覚え鍛えた玄人の方々の一 期一会の緊張感が伝わり、シテ、ワキ、地謡、囃子方の絶妙な間合いを楽しむことができました。

物語が残っていく理由


 「隅田川」の物語を、理不尽な犯罪にまつわる逆縁の悲しみを詞章に乗せて、能楽に携わる人たちが謡い続けてきました。
 その悲しみに共感した観客は、沈黙のなか、退場してゆくシテ、ワキ、作り物、囃子方を見送りながら日常に戻っていきます。それは、ひとつの体験にほかならないのではないでしょうか。
 その体験に心を救われる人、癒やされる人がいる限り、この物語はこれからも残ってゆくように思います。
 理不尽な犯罪、逆縁の悲しみ——決して室町時代の物語にとどまりません。室町時代からの多くの観客とその体験を共有していることもまた心強さを感じます。

伝統を受け継ぐということ


 伝統を受け継ぐとは、玄人の精進、素人の道楽魂、それを感受する社会があってこそではないでしょうか。
 二つの「隅田川」の演能を通して受け継がれていく「能楽」の力が印象に残りました。