![]() |
| 本画像は、映画フライヤー |
難民映画祭「ラワン」を観て
難民生活を送る、イラン出身の聾唖の少年ラワン。彼の経験を分かち合える存在は、周囲にほとんどいない。家族も、兄でさえも例外ではない。成長するにつれ、その隔たりは次第に大きくなっていく。音のない世界から見つめる、過酷な逃避行。ある日、聾唖の青年が、キャンプに彼を探しにやって来る。物語は、そこから動き始める。
思春期の聾唖の少年の心を、いったい誰が受け止められるのだろうか。本人自身も、十分な表現手段を持たない。孤独は静かに、しかし確実に深まっていく。ラワンの家族は、彼の教育を願い、その青年の手引きで英国へ逃れる。だが、その逃避行は恐怖に満ちており、表現の術を持たない少年を、さらに孤独へと追い込んでいく。
英国で始まる手話による学習生活。しかし、心を閉ざしたままの彼にとって、それは容易ではない。ロシア人やインド人の同じ聾唖の友人たちと出会い。子どもの世界に、政治はない。あるのは、「一緒に遊べるかどうか」だけだ。サッカーと手話の学習が、彼らを結びつけていく。その過程が無音の中で描かれていくことに、私は救われる思いがした。そこには、ただ「みんな同じ子ども」の姿があったからである。
イギリス社会は、「この環境が少年の成長に寄与できるか」という基準で、難民申請を判断していた。では、日本はどうだろうか。当事者の成長のために、国内での居住を柔軟に認めることができているだろうか。私は、はなはだ疑問に思う。日本社会は、人権に対して、まだ十分に成熟しているとは言い難いからだ。
この映画は、少年の笑顔で終わる。自分を表現する勇気を得た喜び。それに応える家族の幸福。そして、生活の糧を得る機会を与える社会の存在。観る者に、確かな救いを残す結末である。
本作は、ラワンの成長を丁寧に追ったドキュメンタリーであった。シリア、パレスチナ、ウクライナ、ミャンマー、スーダン、・・・――。戦地を抱える国々から逃れる子どもたちと、その家族。
音のない世界に生きる子ども。
光のない世界に生きる子ども。
身体が自由に動かない子ども。
病を抱える子ども。
いったい、どれほど多くの子どもたちの笑顔が、今この瞬間にも失われているのだろうか。その現実を強く胸に迫る映画であった。
.jpg)