2026-02-15

2025年度 難民映画祭から

 

本画像は、映画フライヤー


難民映画祭「ラワン」を観て

 難民生活を送る、イラン出身の聾唖の少年ラワン。彼の経験を分かち合える存在は、周囲にほとんどいない。家族も、兄でさえも例外ではない。成長するにつれ、その隔たりは次第に大きくなっていく。音のない世界から見つめる、過酷な逃避行。ある日、聾唖の青年が、キャンプに彼を探しにやって来る。物語は、そこから動き始める。

 思春期の聾唖の少年の心を、いったい誰が受け止められるのだろうか。本人自身も、十分な表現手段を持たない。孤独は静かに、しかし確実に深まっていく。ラワンの家族は、彼の教育を願い、その青年の手引きで英国へ逃れる。だが、その逃避行は恐怖に満ちており、表現の術を持たない少年を、さらに孤独へと追い込んでいく。

 英国で始まる手話による学習生活。しかし、心を閉ざしたままの彼にとって、それは容易ではない。ロシア人やインド人の同じ聾唖の友人たちと出会い。子どもの世界に、政治はない。あるのは、「一緒に遊べるかどうか」だけだ。サッカーと手話の学習が、彼らを結びつけていく。その過程が無音の中で描かれていくことに、私は救われる思いがした。そこには、ただ「みんな同じ子ども」の姿があったからである。

 イギリス社会は、「この環境が少年の成長に寄与できるか」という基準で、難民申請を判断していた。では、日本はどうだろうか。当事者の成長のために、国内での居住を柔軟に認めることができているだろうか。私は、はなはだ疑問に思う。日本社会は、人権に対して、まだ十分に成熟しているとは言い難いからだ。

 この映画は、少年の笑顔で終わる。自分を表現する勇気を得た喜び。それに応える家族の幸福。そして、生活の糧を得る機会を与える社会の存在。観る者に、確かな救いを残す結末である。

 本作は、ラワンの成長を丁寧に追ったドキュメンタリーであった。シリア、パレスチナ、ウクライナ、ミャンマー、スーダン、・・・――。戦地を抱える国々から逃れる子どもたちと、その家族。

音のない世界に生きる子ども。
光のない世界に生きる子ども。
身体が自由に動かない子ども。
病を抱える子ども。

いったい、どれほど多くの子どもたちの笑顔が、今この瞬間にも失われているのだろうか。その現実を強く胸に迫る映画であった。


 *難民映画祭は、 2006年に「難民」も焦点を当てた映画祭としてスタートしました。
主催は、 国連UNHCR協会。本年度は、9作品の上映でした。私は12月3日 東京九段のイタリア文化会館で鑑賞しました。映画上映のほかに詩の朗読劇「リスト:彼らが手にしたもの」、聾者でアーティストの木本昌美さんとその息子さんで映像クリエーターの奏太(かなた)さんがラジオDJの武村貴代子さんの司会でトークイベントがありました。

2026-02-08

第9回 MAG ♥NET展 ギャラリー1045平塚

 2026年2月8日 


 関東地方は雪景色。神奈川県・相模原には大雪警報が出ている中、平塚駅近くのギャラリー1045の企画展に出かけた。 bゼミ時代の先輩、曽根夏生さんの最近の仕事である。「流体画譜」と題されたシリーズは、5点の作品で構成されていた。 壁の角を挟んで、2点と3点。なるほど、流線という名の通り、観る側の視線も自然に角を流れていく。


 曽根さんは色鉛筆を使い、優しく、しかもダイナミックに、ふっと肩の力が抜けるような空間を探っているように見える。今回も期待を裏切らず、目に優しい。しかし、優しいだけではない作品だった。彼もまた、モノ派の系譜につながる作家なのだろう。 王道の美術教育で養われた感性や技術とは異なる、泥臭い感性の生々しさ。 それが、彼自身によって洗練された技法へと昇華されている。その過程を味わいながら、作品を楽しんだ。

 書道のように線をひき、線の交わりで閉じられた面に色をぬってゆく。線を追う視線が時間を生み、楽譜のような絵になると作家は言います。
いつも思うのだが、彼の作品にそこはかとなく漂うユーモアは、いったいどこから来るのだろうか


 
 The Kanto region was a snowy landscape. Even as a heavy snow warning was issued for Sagamihara in Kanagawa Prefecture, I went out to an exhibition at Gallery 1045 near Hiratsuka Station. 
It featured the recent work of my senior from the b-semi days, Natsuo Sone. The series, titled “Streamline Drawings,” consisted of five pieces. 
Two works and three works, arranged on either side of a corner of the wall. True to the name “streamline,” the viewer’s gaze naturally flows around the corner.

Using colored pencils, Sone seems to be exploring a space that gently, yet dynamically, allows the tension in your shoulders to relax. This time as well, he did not betray expectations; the works are easy on the eyes. But they are not merely gentle. He, too, is probably an artist connected to the lineage of Mono-ha. 
He draw lines as in calligraphy and then fill the enclosed areas formed by intersecting lines with color. The artist says that the gaze following the lines creates time, turning it into a picture like a musical score.
A raw, earthy sensibility, different from the sensitivity and technique cultivated by orthodox art education. 
That quality has been sublimated into a refined technique of his own. I enjoyed the works while savoring that process.

I always find myself wondering: where on earth does the faintly drifting humor in his works come from?

   B-ゼミ*
            Mono-ha* モノ派