2026-08-25

地唄舞「雪」 「残月」

 

滝の雪 by M. Kaneyasu 

 地唄舞「雪」「残月」をみました。「この世のものとは思えない」と「雪」の幕が降りて休憩に入ったとき、隣の紗の着物をすっきり着たお嬢さんの溜息のような声が聞こえました。『同感!』私も休憩に立ちあがりがたく席に沈んでしまっていました。

「雪」ー 面影 (おもかげ)

 舞台は、両袖の雪洞と背景なしの屏風 白装束に黒い緞子の帯、雪模様の傘を手にした玉三郎、舞台の袖に琴、三味線、胡弓。「花も雪も払えば清き袂かな」ではじまる哀切な地唄。
 いっきにお座敷に引き込まれてしまいました。 「雪」は江戸時代後期、1780年代の作。お座敷の畳一畳で踊り、当時の能楽などの流れをくむ所作の少ない舞踊です。
 私は、テレビで武原はんという人の「雪」を見たことがありました。1973年、私20歳。当時、武原はん70歳のときの「雪」が放映されていました。とても動きが少ないのに伝わるものがあったのが印象的で、当代の舞踊の名手が「雪」を舞うなら見てみたいと思いたちました。
 雪を傘で象徴的にみせ、ゆっくり身体が回転してゆきます。仏門に入った芸妓そせきが恋人を待つ冬の夜を回想し、やすらぎのある今を思う姿が絵がうごくようです。顔、手、足、腰、傘の動きそれぞれに意味があるように思え、「あっ悲しいんだな」「あっ辛いんだな」「今は静かな心境だな」と感じさせます。 それも見ている観客全員が同じ体験をしているのではないかという会場の緊張感がなんともいえません。
 20代の記憶に残る「雪」 記憶通りの静かな印象に残る世界観でした。あの時見た夢のような記憶は間違っていませんでした。

「残月」ー 空蝉(うつせみ)

 玉三郎は、「雪」の後20分のインターバルをおいて「残月」を舞いました。「残月」は、若くして亡くなった芸妓への追悼舞です。歌舞伎座の大舞台は、真っ暗で中央にぼんやり舞手が見え、次第に舞台が明るくなると青一色の照明に下手の上空にほんのり名月という場面。装飾は、一切なし。玉三郎の衣装は、白の着物がきらきら光ります。帯もさきほどのきりっとした黒と違い淡い桃色にみえます。舞台そのものが記憶の中にあるような不思議な空間になりました。
 舞手の銀色の舞扇がひらひら舞い、はかない命の象徴であるかのようです。懐かしかった恋人と楽しんだ座敷の情景が浮かび上がってきます。座敷で芸妓が挨拶をするように舞手が頭を垂れて幕がゆっくり降りました。「雪」に比べると短い曲でしたが、雪のはかなさ以上に命のはかなさが記憶に残ります。玉三郎の身体が重力から解放されていたように感じたのは、私だけでしょうか

「贅沢」ー 夢現(ゆめうつつ)

 江戸後期の作詞作曲と舞、古くもなく新しくもなくいつまでも残ってほしいと思います。
「雪」も「残月」も座敷舞です。歌舞伎座などの大舞台やテレビの放映でなく、息遣いや裾裁きの音が聞こえそうな本来の空間でみることができたらどんなに贅沢な楽しみだろうとも思いました。
 

残月 by M.kaneyasu


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