2026-03-22

マタイの春


  今年の復活祭は4月5日。それまでの約一ヶ月間は「四旬節」と呼ばれ、キリストの受難を思い起こす時期です。とくに最後の3日間は聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日と名付けられ、信仰的な意味合いの強い日々となります。私は今年初めて、マタイ福音書に基づくバッハの大作「マタイ受難曲」を、鑑賞する機会に恵まれました。

 

バッハは新約聖書の4つの福音書それぞれに基づき受難曲を作曲しましたが、その中でも「マタイ受難曲」は三時間半にも及ぶ、宗教音楽の頂点とされる大作です。オーケストラと合唱団、複数のソリストたちが織りなす重層的な響きは、ドラマティックでした。小学校の頃にみんなで見に行った「偉大なる生涯の物語」という映画のシーンが思い出されました。

 舞台には日本語訳の掲示もあり、ソリストの語る聖書の物語が、合唱やオーケストラが一体となって立ち上がるのを、物語を「読む」というより「体験する」感覚で味わうことができました。 バッハは苦しみや裏切り、嘆きだけでなく、赦しや救い、かすかな希望に至るまで、人間の感情の揺れを音楽で緻密に描き出していました。悲痛なコラールのあとに差し込む柔らかなアリアや、厳しい場面に潜む温かな和声の動きなど、重苦しさ一色ではない多様な感情表現の豊かさに、何度も胸を突かれる思いがしました。


 この音楽の世界は、遠い過去の物語を語りながらも、現代社会における苦しみや分断、暴力の記憶をも静かに映し出しているように感じられます。バッハの「マタイ受難曲」は、イエスの遺体が墓に葬られる場面で幕を閉じますが、その終結は絶望の固定ではなく、「この先に何があるのか」という問いとともに、聴き手を祈りや希望の方向へとそっと押し出していきます。 国や時代、立場を超えて、誰もが何らかの「苦難」を抱えて生きている今、この音楽は「苦しみのただ中で、人はどう希望を見いだし得るのか」「赦しや連帯は可能なのか」といった、普遍的で避けがたい問いを私たちに投げかけているように思えました。

 キリスト教は、ユダヤ教の伝統に深く根ざした荒野の宗教です。そして7世紀には、アブラハムを共通の源流にもつ同じ一神教イスラム教が生まれました。三つの宗教はしばしば対立や誤解の歴史とともに語られますが、その根にはいずれも、神の前に立つ人間の小ささと、そこから生まれる祈りや希望というモチーフが通っています。 とはいっても異なる宗教・文化の人々が、十字架刑という出来事を描くバッハの受難曲にどう向き合うのか、ひとことで語ることはできません。それでも、苦難の物語の只中にあっても耳を澄ませば、この音楽が人間の尊厳や、見えない他者へのまなざし、そして神の声とも呼びうる静かな呼びかけを伝えてくれている――そのように感じました。マタイ受難曲は、特定の信仰を持つ者だけに閉じられた作品ではなく、三宗教をはじめとするさまざまな信仰・不信仰の人々にも、「希望」をめぐる対話の場を差し出しているのかもしれません。

 本公演を指揮した佐々木氏が、この作品にどのような思いを託していたのかも知りたくなり、終演後、自然とパンフレットへと手を伸ばしている自分に気付きました。舞台上の音楽だけでなく、その背後にある祈りや問いにも耳を傾けたい――そう願わずにはいられない鑑賞体験でした。

 老体?に鞭打って合唱に参加した友達に感謝とエールを!! 私も頑張る!





 

2026-03-02

宮本三郎 風景をつかむ 企画展「都市と自然ーそれぞれの光ー」

展示作品リストと絵葉書「熱海の夜」

 2026.2.17

 地元の 宮本三郎美術館 で、風景画コレクションによる企画展「都市と自然 ― それぞれの光 ―」を楽しんだ。

作家は油彩で丹念に筆を重ね、風景を構成している。
見えているものを、見えているままに描こうとしているのではない。
風景を目の当たりにしたときの感覚を、いったん持ち帰り、アトリエで再構築しているのだろう。

掴んだものは離さない。
野外であれ、アトリエであれ、本質は同じだ。
掴んだ魚を逃がさない――画家とは、そういう存在ではないだろうか。

宮本三郎には従軍画家としての経歴がある。戦地で描いたスケッチをこの美術館の企画展で見た記憶がある。休憩をとる少年兵の姿だったと思う。油絵とは違う丁寧でゆくりした筆致を感じさせるスケッチだった。少年兵の横顔がいつまでも印象に残った。

現場とアトリエを往還しながら描いてきた人だ。

その絵には、外の光がアトリエの静けさの中で熟成していくような時間が流れている。

野外でスケッチをする人は多い。
だが、野外で「作品」を完成させる人は、そう多くはないだろう。
風景の情報量はあまりに多く、描き手を容易に圧倒するからだ。
彼はそのことをよく知っていたはずだ。
ほんとうに描きたいものは何か――それを掴むために、自然や都会の風景の前に立ち続けていたのではないか。

宮本は、風景から受け取ったものをそのまま画布にぶつけてはいない。
画家にとっての「現場」は、海や山、都市の景色そのものだけではない。
感じ取ったものを熟成させる内なる時間もまた、現場なのだ。

静かな美術館の壁面に並ぶ風景を見ていると、作家の風景との距離感が心地よい。
近づきすぎず、離れすぎず。
懐かしさの中に、風景へと溶け込んでいく感覚がある。

油彩という画材が、画家の見た光や湿度を閉じ込めている。
パステルやコンテ、鉛筆では届きにくい、空気の厚みのようなものがそこにある。

いい時間を過ごした。


*宮本三郎 (1905-1974〉石川県小松市生 画家を志し上京する。大正11年のことである。川端洋学校で富永勝重、藤島武二に師事する。関東大震災後に京都に移る。その後二科展入選、渡欧。第2次世界大戦中に小磯良平等と共に中国へ従軍。戦争画を手掛ける。戦後は、金沢美術工芸専門学校、多摩美術大学などで美術教育に携わる。
1966年 芸術院会員 







2026-02-15

2025年度 難民映画祭から

 

本画像は、映画フライヤー


難民映画祭「ラワン」を観て

 難民生活を送る、イラン出身の聾唖の少年ラワン。彼の経験を分かち合える存在は、周囲にほとんどいない。家族も、兄でさえも例外ではない。成長するにつれ、その隔たりは次第に大きくなっていく。音のない世界から見つめる、過酷な逃避行。ある日、聾唖の青年が、キャンプに彼を探しにやって来る。物語は、そこから動き始める。

 思春期の聾唖の少年の心を、いったい誰が受け止められるのだろうか。本人自身も、十分な表現手段を持たない。孤独は静かに、しかし確実に深まっていく。ラワンの家族は、彼の教育を願い、その青年の手引きで英国へ逃れる。だが、その逃避行は恐怖に満ちており、表現の術を持たない少年を、さらに孤独へと追い込んでいく。

 英国で始まる手話による学習生活。しかし、心を閉ざしたままの彼にとって、それは容易ではない。ロシア人やインド人の同じ聾唖の友人たちと出会い。子どもの世界に、政治はない。あるのは、「一緒に遊べるかどうか」だけだ。サッカーと手話の学習が、彼らを結びつけていく。その過程が無音の中で描かれていくことに、私は救われる思いがした。そこには、ただ「みんな同じ子ども」の姿があったからである。

 イギリス社会は、「この環境が少年の成長に寄与できるか」という基準で、難民申請を判断していた。では、日本はどうだろうか。当事者の成長のために、国内での居住を柔軟に認めることができているだろうか。私は、はなはだ疑問に思う。日本社会は、人権に対して、まだ十分に成熟しているとは言い難いからだ。

 この映画は、少年の笑顔で終わる。自分を表現する勇気を得た喜び。それに応える家族の幸福。そして、生活の糧を得る機会を与える社会の存在。観る者に、確かな救いを残す結末である。

 本作は、ラワンの成長を丁寧に追ったドキュメンタリーであった。シリア、パレスチナ、ウクライナ、ミャンマー、スーダン、・・・――。戦地を抱える国々から逃れる子どもたちと、その家族。

音のない世界に生きる子ども。
光のない世界に生きる子ども。
身体が自由に動かない子ども。
病を抱える子ども。

いったい、どれほど多くの子どもたちの笑顔が、今この瞬間にも失われているのだろうか。その現実を強く胸に迫る映画であった。


 *難民映画祭は、 2006年に「難民」も焦点を当てた映画祭としてスタートしました。
主催は、 国連UNHCR協会。本年度は、9作品の上映でした。私は12月3日 東京九段のイタリア文化会館で鑑賞しました。映画上映のほかに詩の朗読劇「リスト:彼らが手にしたもの」、聾者でアーティストの木本昌美さんとその息子さんで映像クリエーターの奏太(かなた)さんがラジオDJの武村貴代子さんの司会でトークイベントがありました。

2026-02-08

第9回 MAG ♥NET展 ギャラリー1045平塚

 2026年2月8日 


 関東地方は雪景色。神奈川県・相模原には大雪警報が出ている中、平塚駅近くのギャラリー1045の企画展に出かけた。 bゼミ時代の先輩、曽根夏生さんの最近の仕事である。「流体画譜」と題されたシリーズは、5点の作品で構成されていた。 壁の角を挟んで、2点と3点。なるほど、流線という名の通り、観る側の視線も自然に角を流れていく。


 曽根さんは色鉛筆を使い、優しく、しかもダイナミックに、ふっと肩の力が抜けるような空間を探っているように見える。今回も期待を裏切らず、目に優しい。しかし、優しいだけではない作品だった。彼もまた、モノ派の系譜につながる作家なのだろう。 王道の美術教育で養われた感性や技術とは異なる、泥臭い感性の生々しさ。 それが、彼自身によって洗練された技法へと昇華されている。その過程を味わいながら、作品を楽しんだ。

 書道のように線をひき、線の交わりで閉じられた面に色をぬってゆく。線を追う視線が時間を生み、楽譜のような絵になると作家は言います。
いつも思うのだが、彼の作品にそこはかとなく漂うユーモアは、いったいどこから来るのだろうか


 
 The Kanto region was a snowy landscape. Even as a heavy snow warning was issued for Sagamihara in Kanagawa Prefecture, I went out to an exhibition at Gallery 1045 near Hiratsuka Station. 
It featured the recent work of my senior from the b-semi days, Natsuo Sone. The series, titled “Streamline Drawings,” consisted of five pieces. 
Two works and three works, arranged on either side of a corner of the wall. True to the name “streamline,” the viewer’s gaze naturally flows around the corner.

Using colored pencils, Sone seems to be exploring a space that gently, yet dynamically, allows the tension in your shoulders to relax. This time as well, he did not betray expectations; the works are easy on the eyes. But they are not merely gentle. He, too, is probably an artist connected to the lineage of Mono-ha. 
He draw lines as in calligraphy and then fill the enclosed areas formed by intersecting lines with color. The artist says that the gaze following the lines creates time, turning it into a picture like a musical score.
A raw, earthy sensibility, different from the sensitivity and technique cultivated by orthodox art education. 
That quality has been sublimated into a refined technique of his own. I enjoyed the works while savoring that process.

I always find myself wondering: where on earth does the faintly drifting humor in his works come from?

   B-ゼミ*
            Mono-ha* モノ派

2025-04-01

昭和映画100年祭 「緋牡丹お竜参上」 1970

 緋牡丹博徒 お竜参上! 

 制作 1970

 監督 加藤泰

 脚本 加藤泰 鈴木則文

 撮影 赤塚滋

 編集 宮本信太郎

 出演 富司純子、菅原文太、嵐勘十郎、安部徹、長谷川明、若山富三郎

あっというまに1時間40分が過ぎたのでおもしろかったのだと思う。はて?と躊躇している余裕を観客に与えなかった。時は明治の始め 浅草ロックの興行主の縄張り争いにまき込まれるお竜姉さん。任侠は、義理と人情というが、ストリーは、不義理、非人情あってのHERO、ヒロイン。ヒーローもヒロインもよく義理をたて、人情あつい。定番とはいえ。反社会勢力にはかわりない。この頃の映画では、まだ博徒は、世間からはみだしてしまった後ろめたさ、悲しみ、孤独を抱えていたようだ。少なくとも映画を作る人たちには、共感できるものがあった。1970年日本社会が、いよいよ高度成長の波にのり始めたころ。企業戦士は、自立して親分に立ち向かう渡世人に夢をみたのではなかろうか? 渡世人から極道へ 任侠映画は、昭和・平成・令和と社会の変化に応じて映画のテーマも変わってきた。 任侠は、暴力団と反社会勢力とレッテルを張られ、暴力団映画では、暴力シーンが増長されている。 暴力の起爆剤も義理・人情から縄張り争いに変わる。映画の人間描写は、ステレオタイプになり、暴力に理由、言い訳はいらないということになったのではないだろうか。

 1970年公開であるが 制作は1960年代後半、 社会は60年、70年安保の集団のパワーが席捲していた時代、 高度成長期にむかいつつあり、社会全体に活気とエネルギーがたまりつつあった時代ではないだろうか。 映画は、娯楽の最先端であった。娯楽は、社会のエネルギーのパワーバランスの役割を果たしている。 娯楽が多様化している現代にあってこの時代の映画産業を考察することはそれなりの意味があるように思った。 任侠映画がなぜブレークしたか? 集団に対しての個、世間に対しての裏社会、義理人情に対しての不理・非情、非暴力と暴力、男社会と女、映画に非日常を求めていたとすれば見る側の社会は、集団や組織に飲み込まれそうな生活、 暴力とは縁遠い平和な生活裏社会を感じない表社会、女が存在しない男社会、義理人情のない味気ない生活だったのかもしれない。
 昭和はそういうパワーバランスをもつ社会だったのかしれない。 警察が入る前にかたづけようとする任侠のやり方は、話し合いでなく暴力でねじ伏せるというやり方。少数の博徒を集団で襲う。なぜか少数側には、見せ場があり印象的な死に方が用意されている。 ここでは集団があくまでも悪なのである。集団の力に頼りながらも悪という矛盾をいやっというほど画面いっぱいに押し付ける。 武器は日本刀とピストル。 侍映画と違い、こちらの殺陣はへっぴり腰の刀を突き出す無手勝流。なのにヒロイン、ヒーローは腰が入り、侍のようだ。 出入りシーンでは、集団は大いにコケにされる。それを見て爽快、やった感を感じるから映画は、面白い。 親分-子分の組織を尊重するが、それも親分の器量しだい。 尽くす礼は、親分でも末端の子分でも知っている。 そんな裏社会が浅草の興行を支えていた。 器量のよい親分は、気質の客たちを大事にしている。縄張りを守ることは、お客さんも守るという論理があった。嵐勘十郎が器量のある親分の風格を体現していたのが印象的だった。死に際の言葉が「喧嘩をするな」 で一旦幕引きかと思わせたが。 そのあとの展開では、はやる子分たちを抑え、客人のお竜が義理に報いて悪役親分の成敗に一人乗り出す。 それを助ける渡世人文太、文太はお竜を守って壮絶な死闘を繰り広げる。 ラストは文太をかばうお竜の女らしい表情のドアップ。お竜は、生き。文太は喧嘩の責任を取るべく死んでゆくが、詳細不明。ただ「この始末、私につけさせてくれ」ということになっている。あの致命傷をひきづってどうやって始末つけるのかなという疑問がのこったが・・・ 脚本を書くのは楽しかっただろうなと思った。 途中若山富三郎が狂言回しで出演、かっこよくお竜を助けてみせる。ご愛敬というか緊張感の高まる前のひと休憩だった。そのあとの展開のスピード感がすばらしい。 もう一つすばらしいのが、富司純子と文太が賭場をはさんで対峙するシーンと、 やはり二人が雪の降る太鼓橋の上で触れず語らず交流するシーンの印象的な美しさ。練られて、その当時の映画人の心意気が感じられる場面であった。やっぱり日本人の緊張感ある美意識は秀逸である。 (2025.4.1 丸の内TOEI)

「博徒」とは、賭け事を生業にする人をさす日本語です。

日本の文化の中で賭け事、博打は、見逃せない流れをつくっています。平安時代末期の後白河法皇(1127~1192)の「賀茂川にすごろく流す なにしにぞ」(賀茂川にすごろくの盤を流して、何をしようというのか)は、当時の巷のはやり歌を集めた「梁塵秘抄」の一節にあります。「すごろく」は、すでに貴族だけでなく庶民の楽しみのひとつになっています。 後白河法皇は、「すごろく」の賽の目の不確実さに人生の浮沈や諦念を見ていました。

 「すごろく」だけでなくこうした遊びは、賭け事に発展し、それを生業にする人たちが現れます。集団として賭け事が生業として社会的に認知されるようになったのは江戸時代になってからです。縄張りをもたない「渡世人」タイプと 地域を守る『侠客』タイプがありました。侠客には、縄張りがあり地域を守るという役割をになっていました。庶民に人気のある清水の次郎長(志静岡県)、竹垣五郎(江戸・浅草)、大前田英五郎(埼玉県・群馬県)、黒駒勝蔵(山梨)会津小鉄(京都)、笹川繁蔵(千葉県・天保水滸伝のモデル)国定忠治(群馬県)彼らは幕末まで「弱きを助け、強きをくじき」と庶民に慕われ多くの劇作のモデルになっています。また西郷隆盛、勝海舟、新選組との交流を持つ親分もおり、集団の力をもって社会構造変革期に貢献しました。明治政府が近代化の一環で賭博を厳しくとりしまると賭博を生業にするものは地下に潜り生業を継続しようとします。組織化された集団は、賭博だけでなくみかじめ料をとりたてるようになっていき、暴力団、反社会的勢力として社会の裏側という位置づけになっています。



2013-01-26

塀の中のジュリアス・シーザー

おやきがみた「塀の中のジュリアス・シーザー」

パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟 監督作品
2012年 
原題 Cesare deve morire
heinonaka-c.com

  シェークスピア「ジュリアス・シーザー」劇のクライマックス・シーン シーザーを暗殺したブルータスと仲間たちはアントニウスに追い詰められる。ブルータスの最後 ブルータスは自害し果てる。ブルータスの遺骸を中央に出演者が出そろう。シーザーがブルータスに手を差し伸べる。立ち上がるブルータス・劇の終焉 スタンディンオベーションにこたえる屈強でマッチョな男達
映画の最後は独房・監獄にもどる囚人たちの姿を映し出す。キャシアス役のコシモ・レーガが
「芸術を知ってから監獄が牢獄になった」とつぶやき独房の生活に戻ってゆく。彼は終身刑の囚人だったのだ。映画のストーリーは一貫して「ジュリアス・シーザー」の劇のメイキングのように進む。
オーディションでは悲しみと怒りを表現させる。選ばれた者たちはせりふをくりかえしながら次第に
役に同化してゆく。その姿は映画をみているものに現実と非現実の壁を越えさせてゆくのに十分なドラマ性をもっている。彼らの過去の反社会的な行為が シーザー、ブルータス、キャシアス・・・・
の行為と共鳴しあっているようにみえるからだ。共鳴は重奏低音のように全編に流れている。
 シーザーの陰険な傲慢さ、気位の高さ ブルータスに忍び寄る友人シーザーへのねたみと自分の気持ちを正当化しようとする知性  キャシアスの暗殺することを運命として周囲を巻き込んでゆく力 迎合する心、否を唱えられず暗殺に加わる心 ごまかし 裏切り 
 暗殺は憎しみを生み 新たな殺意が生まれる。断ち切れずに繰り返されてゆく殺人 シェークスピアはこの物語で何を伝えたかったのだろうか。希望はない。憎しみの強さは人を抹殺する。たとえ友人であっても憎しみがあるから正当化して抹殺しようとする衝動に駆られる。そこに正当な理由などはない。人が人を殺すということからは何も生まない。新たな死だけである。人間よ早く気付け!!とでもいいたいのだ。
 囚人たちの演劇演習を取り上げたこの映画は観客に罪を償う人たちの気づきを明らかにして見せた。役者たちは現実に戻り自分たちの過去の行為を今どのように受け止めているのだろうか興味がつきない。役者たちの存在感は、かれらが彼ら自身の過去に立ちむかった 結果から生まれたのではないだろうか。個々人の罪状は違えども人間の本質的にもっている反社会的な感情にむきあったからこそ観客を感動させることができたのだと思う。もしこの映画を被害者の家族がみて自分の身内を殺害した人が役に同化し思い苦しむ姿や観客に称賛される姿をみたらどんな思いになるだろうか。罪を憎んで人を憎まずという心境に至るだろうか。少なくともこの映画の監督や囚人の演劇実習を長年手がけてきたファビオ・ は願っていると思うのだどうだろうか

  

  

2010-03-20

SHERLOCK HOLMES 2010


おやき:シャーロックホームズは小学校の時の愛読書だったよ。
    ホームズはスマートな探偵だから期待しちゃうわ。

ピー:いつの時代か知りませんけど、今回は2010年版シャーロックホームズよ。
   ロバートダウニージュニアンがどう演じるか楽しみだわ。

おやき:ロバートがマッチョなホームズね。

ピー:あきらかにブルース・リーだったわ。

おやき:ネタが前半であかされちゃうし、フリーメイスン出てきちゃうし。推理のおもしろさ    よりもチャンチャンバラバラね。

ピー:チャンバラにしてはベタすぎたわね。ホームズとワトソンがあわよくばゲイかとおもっ   たわ。